80年代、多くの女子大学では、良妻賢母となるのを目標とする校風でした。これ、都市伝説ではなく、本当の話です。
千代子の入学したのも、そういう校風の学校でした。何しろ、地元の卒業した県立高校より校則が厳しいのでした。すぐに友達を作れるタイプではない千代子は、なんだかなあ、という違和感を感じていました。
次の講義まで、一コマ時間が空いた千代子は、なんだかなあという気分のまま、ひとりで構内にある図書館に立ち寄りました。
そこで手にしたのが、坂口安吾のエッセイ、日本文化私観でした。
見たところのスマートさだけでは、真に美なるものとはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直ではなく、結局本当の物ではないのである。要するに空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、栓ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくることがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
シビレました。その頃、平和だった日本は、女子大生ブーム。JJやアンアンを教科書に、女子大生らしい服装を模索していた千代子は、坂口安吾から「それは違うだろう」と説教された気持ちになりました。
その後、千代子は坂口安吾を読み始めました。
白痴、青鬼の褌を洗う女、桜の森の満開の下、夜長姫と耳男、私は海を抱きしめていたい。
もう夢中に読みました。
父は、ついに私が坂口安吾を卒論のテーマにすると聞くと、「あんな作家で卒論を書いたら、まともなところに就職できないぞ」と言い出しました。でも卒論にしました。だって好きなんです。
就活してみて、当時の採用担当者は、一般職の女子大生の卒論のテーマに大した関心を持たない事も知りました。
あれから、ざっくり30年以上経ちました。晩婚の新婚の千代子には、子供がいません。しかし、子供のころから可愛がっていた姪と甥がいます。
あの子たちが、坂口安吾の日本文化私観にのめりこんだら、なんだか心配です。
これを変節と言うのでしょうか。
しかし千代子だって人の子。可愛がっていた若い子に、平穏な生活を送ってほしい、中庸な道を歩んで欲しいと願ってしまいます。
結局千代子は、長い時間をかけたけれど、父の望んだ平凡な大人の方へと歩みを進めていたのです。
気づくの、今さら?