千代子が学生時代、演劇のサークルに入っていた事は、以前にお話ししました。
演じるだけではなく、人の芝居を見る事の面白さもその頃、体験した事です。
80年代、新宿の花園神社の中の赤テントで公演を行う、状況劇場の芝居を観に行ったのも、その頃でした。
今で言う、密なテントの中の空間で演じられる芝居を友人と観ていたら、後ろから千代子より年上のお姉さまの会話が聞こえました。
「昔の根津や小林がいた頃のは、もっとよかったわね。いまじゃ、すっかり云々…」
小耳に挟んだ千代子は、正直、「うざっ」と思いました。
しかし、千代子自身、80年代にRCサクセションのライブに行けた事、本多劇場のこけら落とし公演で柄本明と緑魔子の出演した「秘密の花園」を観る事が出来たことが、密かな自慢になっています。
これは、何故でしょう。
やはり、舞台は生もの。演者は何度も同じ芝居を行っていても、観る側は、その場に立ち会えた事が、特別な経験となっているのではないかと思うのです。
しかし、最近、千代子は芝居だけが非日常ではないという感覚になってきているのです。
さっきも、関東では大きな地震がありました。
今日と同じ明日が送れるのは、何かとてもありがたい事の様な気がしてならないのです。
「明日やればいいや」「明日、謝ればいいや」
その明日が、本当に来るのと確信できるのか。
そんな気持ちになる時があるのです。この無常感が、自分のどの体験から沸き上がった感情なのか、よくわかりません。
その場に人といる、その場で働いている、その一瞬に心を込めたいという気持ちになってきているのです。