休日の前の夜、千代子はつい、アマゾンを開いてみています。
素敵なオードトワレ、読みたくなるエッセイ、美味しそうなお菓子のお取り寄せ。
気がつくと、三時間くらい眺めている時があるのです。
もちろん、楽しんで行っている事です。
けれど、時々、我に返るのです。
「素敵なものがありすぎて、結局、何も買わない。私は、何をしているのだろう」
選択が多いと、結局何も買わないという、実験もあるそうです。
アマゾンを眺めている時間の長い千代子には、それは実感として理解できます。
素敵なもの、欲しいものが際限なく検索できる環境にいると、自分が心から欲しいものは、本当は無いのではないかと思えて来るのです。
子供の頃、ひみつのアッコちゃんのコンパクトだけが、欲しかった時とは、ほど遠い境地です。
もちろん、アマゾンを批判しているのではありません。
千代子が、骨折して松葉杖をついていた時、買い物に両手が空いている方が便利だと、アマゾンで、ナイロンのリュックを注文した時がありました。
配達員の方は、松葉杖をついて玄関に現れた千代子を見て、注文した商品を玄関のたたきまで、置いて頂き、その上、他に出来る事はありませんかとまで、尋ねて下さいました。
高齢者、足の不自由な方にとって、本当にありがたいシステムだと思います。
けれど、特に欲しいものがないのに、数時間アマゾンを眺めている千代子は、自分の時間の使い方に、疑問を感じるのです。
クネオ君は、多忙です。千代子自身、友人とリアルで話す時間が、あまり取れない状態です。
アマゾンを眺める事で、その時の寂しさを忘れようとしている気がして来るのです。
自分は、何を欲しているのか。この事について、目をそらさないで考えるのも、ひとりで過ごす時の時間の使い方として、良いのではないかと思う時があります。