今日は、学生の時の友達からサツマイモをプレゼントされた事が何だかうれしくて、学生の時の事を思い出していました。
私は、小説を読むのが好きという理由で文学部に行きました。その先の就職を考えずに、自分の興味だけで好きな学部を選べたのは、生まれた時の時代のおかげで、運が良かったとしか言いようがありません。
どこの学校にもそんな学生は、いるらしいのですが、私も専門の教科より一般教養の教科の方が面白いと思ってしまいました。
哲学の先生は、朴訥とした風貌で、哲学の面白さを伝える喜びに溢れた表情で、教えて下さいました。
「なんか、あの先生、変」という子もいました。
でも、私はその先生の講義に魅入られていました。
デカルトの「われ思う、故にわれあり」についてのお話は、今でも私の心の支えとなっています。
すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、お話しをさせて下さい。
あらゆるものの存在を真か偽がを疑うと、全てのものが偽となってしまうかもしれない。
それでも、全てを疑い続ける我の意識だけは、真として存在するという話です。
十代の頃の私は、周りが自分に与える評価に敏感でした。浮かない様に振る舞うのは、あの頃の私たちには、暗黙のお約束でした。
その中で聞いた「全てを疑い続ける我の意識だけは、真として存在する」という言葉は、何か閉ざされた窓が一斉に開いた様な解放感を私に与えました。
疑問に思っていい、疑っていい。
この言葉を知った時の喜びを時々思い出します。
本当なら、新たな事を知る喜びは、今でも自分次第で探せるはずだと思うのですが。