1962年生まれ、かな入力千代子のお天気日記

あの、自分が還暦を過ぎた事が自覚できないのです。まだ知りたい事、知らない事が沢山ある気がします。

バレエ

今日、Kバレエカンパニーの白鳥の湖を見て来ました。

もう、舞台を見るのは、二年ぶりでしょうか。

二年前に見たのも、ここのバレエ団のくるみ割り人形でした。

二年前は、アナウンスでブラボーの声援は、お控えくださいとアナウンスがありました。

今は、そのアナウンスは、ありませんでした。それでも、観に来られた方は、マスクは必着でした。

今回、やはり声援は控え目な気がしました。

その分、拍手の割れんばかりの音が響いていました。

千代子は、バレエをきちんと学ぶ事はありませんでした。それでも、ダンサーの方、ひとりひとりの、美しく在る事への、真摯な思いが伝わる舞台でした。

今、ここで踊る、今、ここで観る事が出来る事への、皆の喜びが、あの大きく響く拍手だったのだと思います。

舞台の最後、オデットと王子の愛が成就した場面で、ここにいてよかったという気持ちがこみ上げてきました。精一杯、拍手をしながら、少し涙目でした。

音楽でも、バレエでも、再生されたものではない、その一瞬に全てを注ぐ、舞台が好きです。

前回は、クネオ君と行きました。今回、クネオ君は、外出が困難となったので、友人と行きました。

帰宅し、今日観たバレエの話をしました。

クネオ君は、にこにこして、「よかったね」と言いました。

今日観たバレエの経験も、クネオ君の言葉も、私の中で、今も温かいものとして、残っています。

あしたは、新聞を捨てる日です。早起きします。

 

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タンドリー サバ

Cava?               サバ?                      元気ですか。

Cava.Et toi?      サバ、エトワ?  元気です。あなたは?

 

大学で第二外国語で学んだフランス語、これしか憶えていません。

 

今日、スーパーで二枚におろしたサバを見つけました。

買おうかと思いましたが、「魚焼きグリルを洗うのが面倒くさいし」と思い、売り場を離れました。

しかし、その後、タンドリーチキンのスパイスの素を見つけました。

「これをあのサバに付けて、焼いたらどんな感じだろう」と思い直し、サバを買いました。

サバの水気をキッチンペーパーで拭き、このスパイスをまぷし、焼き皿に置きます。

オーブンは、230度くらいで30分焼きます。

魚を焼いている間にペンネを茹でます。フライパンの上でフォークを使ってブルーチーズを崩します。そこに生クリームを入れて少し煮込みます。そこへ茹でたてのペンネを投入。ペンネとソースをよく絡めます。

塩分、動物性脂肪、高そうです。でも、好きなんです。たまに食べると、うっとりしてしまいます。

魚もどうやら焼けました。

前列右のサバは、少し崩れています。これは、焼けたか箸を入れて確認したのです。

サラダと供にお皿に盛り付けました。

 

 

なにやら、濃厚な感じの夕ご飯になりました。

 

 

お彼岸ですね

今日は、お彼岸でした。お墓詣りのために花は、前日から用意していました。

お線香を焚き、墓前で手を合わせている時、千代子は、ただ、安らかにお過ごし下さいと祈りました。

今まで、初詣に行くと、何となく「○○に合格しますように」「〇〇が成功しますように」と祈っていました。

けれど、両親の最期を見届けた後、千代子は、神様に自分の願望を祈るのは、何か不自然な気がしてきました。

今、千代子が多少の不調があっても、まあ健康に生きているのも、そして水も空気も安全な日本で生活できるのも、全て、自分の努力で勝ち取ったものではありません。

千代子は、日本で昭和三十年代に生まれました。両親の出身地の九州への帰省の時には、子供の頃は、寝台車に乗っていたのに、いつの間にか新幹線で祖母の待つ家に到着する様になりました。高校生の時、小説が読むのが好きという理由で文学部に進学しました。

自分は、もう、生まれた場所も時代も充分に恵まれていたのではないかと思うのです。

墓前では、「今もまあ、元気にやっています」の報告で良い気がします。

神社でも、「これからも、健康を保つ努力はしますが、サポートをお願いします」で充分ではないかと思うのです。

高齢者の将来の経済的な不安をあおるネットの記事ばかり読んでいると、「早く仕事を探さないと」と焦る気持ちになります。

それでも、何を優先するべきなのかは、よく吟味した方がいいと思うのです。

千代子は、父の葬儀やその他の手続きで、時間の制約があり、責任を持って仕事が出来る環境ではありませんでした。その時期に、派遣会社から紹介されたお仕事をお断りした事があります。

その選択を悔いていません。

想い出ぼろぼろ

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社員として働いていた、会社を退職したのは、3年前の3月でした。

私の退職を聞いて、心配される先輩もいらっしゃいました。

「大丈夫なの?年金を貰えるのは、65歳からだよ。もっと甘えればいいのに」

千代子は、その時、クネオ君と婚約している事を社内の人には、言いませんでした。

皆が、すさまじく働いている職場でした。何だか、寿退社みたいな事を言えない感じがしていたのです。

私に問いかけた先輩は、とても勘の鋭い人でした。

先輩の「もっと甘えればいいのに」という言葉に、千代子は、一瞬、図星を刺された気持ちになりました。

人に甘える事の苦手な事を、この人は見抜いている、その上で私を心配して下さっている。

千代子は、曖昧な微笑みを浮かべ「いやあ、昭和37年生まれの女は、63歳から貰えますよ」と言い、職場の部屋を出ました。

廊下に出て、涙をぬぐいました。

この先輩は、千代子とほぼ同時に異動となった四人の同期のタスクの進捗も見ていました。

なかなか進まない時、そのフロアに在籍する人、全員にこの四人について手伝える事をしてあげて欲しいと、メールを送ったのです。

千代子は、会社から支給されたアイフォンを見ると、それは土曜日の午後二時でした。

休日出勤をして、その上で、我々四人についての心配をして下さったのです。

仕事に厳しい方でした。やっているのに出来ないと、怠けていて出来ないを見極めて、後者の場合の詰め方の厳しさは、驚くほどでした。

それでも、千代子は、この先輩を、嫌いになれませんでした。

何か、自分の行うべき事を理解し、それが求められているのなら、悪役に徹する、悪役のプロレスラーの様な方だと思ってしまうのです。

悪役のマスクの下には、人の気持ちが想像出来る、優しい心根がある気がしてならないのです。

先輩は、年齢が分かりません。今、千代子が60歳ですが、今も元気に働いていらっしゃるのでしょうか。

 

ああ、エクセル

再び、絶賛求職中です。

応募し、履歴書を送り、面接、そしてお祈りメール(泣)

これを繰り返しています。

以前、面接で「エクセルは、ある程度は出来ます」と言った際、面接官より「では、マクロは組めますか」と問われました。

今、エクセルは、マクロを組めます、までのところまで求められているのかと、思ったものです。

マイクロソフトスペシャリストまでは、勉強して取得しました。

しかし、マクロを組めますは、エキスパートまで取得しないと証明できません。

それも、家でDVDの添付されたテキストを買い、勉強中です。

でも…。

例えば、100万を借りて利率4%で5年で支払うには、ひと月にいくら支払いをすればよいでしょう。

この答えを関数を使い、導き出すというのは、本当に千代子が働く際、仕事として求められるのでしょうか。

そうは言っても、それは試験。試験範囲なら、勉強をしていますが。

自分を振り返っても、「これ、本当に役に立つ経験なの?」と思いながら行った仕事が、ひょんな事から活用できた事もありました。

まあ、新たな事を学ぶというのは、時間の使い方として、良いのではないかと思います。

明けない夜はないという言葉があります。今の千代子は、「人生、明けたり沈んだりの繰り返し」というのが実感です。

 

煮卵→煮豚→チャーシュー麵

 

煮卵を4個作りました。1つ残り、そのつけ汁で豚肉を煮ようと思いました。

 

 

買ってきたのは、豚の肩ロースかたまり、450グラムくらいのものです。

これを小さな鍋ギリギリに押し込んでしまいます。入りにくいので、3つに切りました。


煮卵のつけ汁は、どんぶりの中に濃縮した麵つゆ、かつおだしの粉、少しの水を入れて電子レンジでチン。つけ汁が温かいうちに、出来立ての温かいゆで卵を入れ、しばらく放置したものです。

このつけ汁を肉の入った鍋に入れて、約30分弱火で煮ます。

30分煮た豚肉を、冷めるまで台所で放置。冷めたものを冷蔵庫に入れておきます。

 

翌日の煮豚に、ひとつ残った煮卵、白髪ねぎをごま油と黒コショウで和えたもの、頂きものの赤穂の塩のついた海苔を乗せて、チャーシュー麵にしました。

ちなみに、千代子はインスタントラーメンは、明星チャルメラサッポロ一番の醤油味が好きです。チャルメラが今回は、売られていなかったので、サッポロ一番で。

我が家では、醤油味のラーメンに、ごま油をダラーっとかけます。

 

 

チャーシュー麺、クネオ君と美味しく頂きました。

まだ、煮豚とネギが残っています。明日は、玉子、煮豚、ネギでチャーハンにしましょうか。

つけ汁は、次はおでんに入れてみようと思います。

 

このご時世の葬祭の連絡について

父が去年の11月に他界しました。

その際、父が残したエンディングノートを確認しました。

戒名、連絡する方、葬儀社、貴重品について、延命治療をするか否か。

父は、年賀状も筆ぐるめを使っていたので、宛先もプリントしていました。

父は、八十代で九州出身です。兄弟もその年代です。関東在住の父のために、遠方からお越し頂くのは、まだコロナ禍であり、心苦しく感じました。

そこで二つの連絡の挨拶を考えました。

 

①父が11月〇日に逝去しました。このご時世にこの様な連絡をさせて頂く事を大変、心   苦しく思います。

②父が11月〇日に逝去しました。通夜、告別式を行います。ご参列頂けましたら、父も喜ぶと思います。

①は、ご高齢の方、遠方の方に。

②は、関東在住の方に。

 

①と②で紙を別に挨拶文を書き、その下に連絡する方の氏名、電話番号を書きました。

①の文については、千代子が連絡し、同時に②の文については、クネオ君が連絡をしてくれました。

 

①のご高齢の方でも参列をご希望される方には、葬儀社が作ってくれました通夜・告別式の日時、場所の記載してある用紙をファクシミリでお送りしました。

ファクシミリの機能のある電話は、やはりこんな時には必要だと感じました。

 

家族の逝去についてを題材に書く事に、随分悩みました。しかし、当事者として経験した事が、他の方のお役に立てばと思います。