今日は、お彼岸でした。お墓詣りのために花は、前日から用意していました。
お線香を焚き、墓前で手を合わせている時、千代子は、ただ、安らかにお過ごし下さいと祈りました。
今まで、初詣に行くと、何となく「○○に合格しますように」「〇〇が成功しますように」と祈っていました。
けれど、両親の最期を見届けた後、千代子は、神様に自分の願望を祈るのは、何か不自然な気がしてきました。
今、千代子が多少の不調があっても、まあ健康に生きているのも、そして水も空気も安全な日本で生活できるのも、全て、自分の努力で勝ち取ったものではありません。
千代子は、日本で昭和三十年代に生まれました。両親の出身地の九州への帰省の時には、子供の頃は、寝台車に乗っていたのに、いつの間にか新幹線で祖母の待つ家に到着する様になりました。高校生の時、小説が読むのが好きという理由で文学部に進学しました。
自分は、もう、生まれた場所も時代も充分に恵まれていたのではないかと思うのです。
墓前では、「今もまあ、元気にやっています」の報告で良い気がします。
神社でも、「これからも、健康を保つ努力はしますが、サポートをお願いします」で充分ではないかと思うのです。
高齢者の将来の経済的な不安をあおるネットの記事ばかり読んでいると、「早く仕事を探さないと」と焦る気持ちになります。
それでも、何を優先するべきなのかは、よく吟味した方がいいと思うのです。
千代子は、父の葬儀やその他の手続きで、時間の制約があり、責任を持って仕事が出来る環境ではありませんでした。その時期に、派遣会社から紹介されたお仕事をお断りした事があります。
その選択を悔いていません。