また会おね 矢野顕子 1980年発表
千代子がクネオ君と結婚したのは、2021年の6月です。時節柄、披露宴の様なものは、特にしませんでした。お世話になった人には、挨拶状を送りました。
千代子は、初婚で58歳でした。挨拶状を受け取られた方から、「おめでとう、どこで知り合ったの」と聞かれる事が多かったです。
クネオ君と知り合ったのは、学生の時のアルパイト先です。しかし、卒業近くなると、卒論、就活、入社後も研修等、多忙なため連絡をとらないうちに、疎遠となっていました。
再会したきっかけは、千代子が偶然、Facebookで顔出しをしているクネオ君をみつけたからです。思い切って、メッセージを送りました。
やはり、かつての先輩のクネオ君でした。
やがてメッセージのやり取りが始まりました。その中で、クネオ君は、こんな事を言いました。
「千代子ちゃんが、卒論で坂口安吾をやると言ったら、お父さんから、あんな作家で卒論を書いたら、まともなところに就職できないって言われたって言っただろ。俺、それを聞いて、そんな堅いうちの女の子、俺には無理かもって思ってた」
千代子は、結局、坂口安吾で卒論を書きました。しかし、クネオ君にそんな話をした事を忘れていました。自分が、そんなに情熱を持ってひとつの事に取り組んでいた人間だった事など、その言葉を聞くまで思い出せなかったのです。
千代子は、30年以上前は、そんな人間だった。そして、クネオ君は、その事を覚えてくれていた人だった。
クネオ君は、千代子にとって特別な人間だと感じたのは、その時だったのかもしれません。
今、お付き合いしている人、あるいは会社との別れを考えている人がいらっしゃいましたら、千代子は提案します。
たとえ酷い言葉をなげかけられても、酷い言葉で応酬しないで下さい。後から、そんな言葉を使う自分が嫌になります。
もし、ひとつでも、ふたつでも、大切にされた思い出があったのなら、それは、別のフォルダーに入れて大切に保管して下さい。困難な環境に直面した時、自分が大切にされた思いでは、必ず自分を支えてくれます。
不快な思い出は、全て「捨て」というフォルダーに投げ込み、削除して下さい。
嫌だから別れるのかもしれません。でも、出来るなら、嫌な別れ方はしない方がいいと思うのです。