1962年生まれ、かな入力千代子のお天気日記

あの、自分が還暦を過ぎた事が自覚できないのです。まだ知りたい事、知らない事が沢山ある気がします。

一周回って、近づきました

今週のお題「夢」

大学生の頃、もう40年近く前の話です。

のほほんと生きてきた自分でも、さすがに賞罰はともかく、特技・資格欄が空白のまま、就活を行う事に、不安を感じていました。

そこで、卒論と並行して土日に、新宿の簿記の学校に通い始めました。

しかし、簿記。本当に理解出来ませんでした。

まず、資産が増えれば、負債が減る。ここは、理解できます。経費が増えるとそれを支払うための、資産が減る。

資産と負債の借方と貸方の増減は理解できます。経費は、借方、資産も借方。

この上下の増減が理解に苦しみました。

当時は、文系の学生です。言い訳ですが、イメージできないのです。

簿記に、合格するまでの時間を費やすよりも、卒論を落とさずに、卒業する方を優先しました。

新入社員の時、既に「経理は難しい」と感じていました。

それが、ひょんなきっかけから、卒業後、三十年近く経過してから、人が足りずでしょうか、経理で働けと。

焦りました。私が経理なんて良いのでしょうか。

配属場所の経理は、簿記なんて、日本語の様に理解している人ばかり。

何だか、千代子の脳内には、「赤い靴、履いてた、女の子。異人さんに連れられていっちゃった」という歌が流れている状態です。

いえ、歌なんて歌っている場合ではありません。とにかく、ここでの母国語を覚えないと、話にならないと感じました。

やはり、簿記の知識がない状態で異動となったので、手が空いている時、簿記だけは、時間内で社内で勉強してもよいと言われました。

しかし、手が空いている時間があるなら、そもそも他の部署から人を引っ張るはずはないのです。

日曜日やら、夏休みやら、簿記の勉強をしていました。

友人にも話しました。

「働いているから、売掛金を回収をすれば現金が増える事はイメージ出来るけれど、これを高校生が学ぶのは、ものすごくハードルが高いのではないの」と。友人は、高校の教師です。彼女いわく、生徒に簿記を教えているのは、国立大の大学院を卒業した人らしいです。

納得です。千代子とて、簿記を人に教えるなんて、出来ません。

しかし、職場は給料を頂くところです。出来ない時、嬉しそうに嫌味を言う人がいるのは、どこの職場でもある事です。その時、千代子の心中にあったのは、「このままで済むと思うなよ」という言葉でした。

もしかしたら、あの先輩は、そこを狙っていたのでしょうか。

その後、クネオ君と結婚する際、通勤に時間がかかり、退職。やはり、簿記をやり残した感じが残り、次の仕事を探す時も、経理部にいたのに、簿記資格がないというのは、何とも、格好悪いと思いました。

再度、チャレンジ。テキストを買い、再び簿記を勉強。なんとか、日商の3級に合格しました。本来、2級まで取得するべきですが、とりあえず、特技・資格欄に簿記と記載出来ます。

その後、様々な面接を受け、履歴書を書き、やっと経理系の仕事に従事できました。

一周回って、近づきました。

でも、その一周、かなり大回りしている気がします。